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現ベルリン市域では古くからあった、「古テンペルホーフ」

現ベルリン市域では古くからあった「古テンペルホーフ(Alt Tempelhof)」を紹介したいと思います。

どうもヨシです。
今回は、現在のベルリン市域の中でも、古くは中世からあった「古テンペルホーフ(Alt Tempelhof)」を紹介したいと思います。

上の地図は1237年頃の地図で、赤い矢印部分が「アルト(古)・テンペルホーフ」です。
※Berlin/Cöllnより先にあったSpndauとCöpenick」もよかったら読んでみてください。

ここには「東方植民」の発展の一環で、遅くとも1200年頃にはあった村で、テンプル騎士団(Templerorden)の拠点のひとつでした。

またそのような拠点をKomturhofと呼ぶそうで、Komturとは教会の騎士団の役職名で、拠点の騎士団のリーダーまたは管理者であったそうで、この頃(中世)のHofは防衛的に塀や壁で強化された場所の意味を持っていたそうです。
現在は中庭という意味でよく使っている気がします。

初めにKomturhofが、もしくはが、それとも両方が同時に、この地に発生したかどうかははっきりわかっていないそうです。
というのも元々の村の名前がよくわかっていないからからだそうです。

一つの説は、Teltow(現ベルリンの南の地域)から北に向かってUckermark(ブランデンブルク州)まで、まったく同じ地名が伝播していっており、(例:Blankenfelde, Britz, Buckow, Grunewald, Heinersdorf, など)

そしてBernauとEberswalde(共にブランデンブルク州)の間にTempelfelde(ブランデンブルク州)という地名があり、

Teltowに同じ地名がここ(Tempelhof)にしかないことから、これが元々の村の名前であり、後に「Templer Hof(テンペル騎士団の砦)」と同一視(混同?)したため、その名前が引き継がれた可能性が高いみたいです。

また、教皇Clemens V.(クレメンス五世)がテンペル騎士団を解散させた後、その資産は聖ヨハネ騎士団に譲渡され、

その後、Berlin/Cöllnに売却されたそうです。

引用:wikipedia
https://de.wikipedia.org/wiki/Berlin-Tempelhof#/media/Datei:Tempelhof_um_1834_(1_-_25.000,_ges%C3%BCdet).jpg

1834年頃のAlt-Tempelhof

上下反転して北を上にした方が地形がわかりやすいかもしれません。※Google Mapなどで見比べてもらえたら幸いです

緑色が現在の中央分離帯で、赤色が村の教会です。
青色が湖(もしくは池)です。教会の北側にある池が埋め立てられて現在Reinhardplatzの駐車場になっています。

これを見ると、まだ村の名残があるのがわかりますね。

少しでも雰囲気が伝わるように、アルトテンペルホーフの写真をいくつか紹介したいと思います。

上の写真は村の教会を南側から撮った写真です。

村の教会ってかわいいですよね。

残念ながら、第二次世界大戦で教会の建物の外側以外(上図右下)は、空襲により破壊されてしまって、現在建っている教会は修復されたものだそうです。

教会敷地内の墓地。
嫁さん曰く、戦前はこういうお墓がわりと在ったらしいです。
豪華ですね。

もちろん、この村の有力な一族のお墓だそうですが。

教会から少し移動して、Alt-Tempelhofの通りへ。

Jugendstilっぽい建物。
壁面などに装飾があったのかなぁ、と妄想。

ブランデンブルクにありそうな建物。
こういう家の方が昔は多かったのかもしれませんね。
個人的にかわいくて好きです。

中央分離帯にあった噴水。
後で調べたら、Eva-Brunnen(イヴ・噴水)とGoogle Mapにありました。
しかし、なぜここにイヴ…?

色々な時代の建物があり、
村全体的にあまり、中世の雰囲気は残ってませんでしたが、
それでも、地形に名残があったり、ここにテンペル騎士団がいたんだなぁと考えると
ロマンがあるなぁと思った次第です。

以上、アルト・テンペルホーフについてでした。

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