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ベルリン歴史探訪

ベルリン要塞から税関壁

どうもヨシです。
今回はベルリンに1700年代からあった税関壁について書きたいと思います。

その名の通り、関税のための壁です。
 
ベルリンには、税関壁の前にかなり以前紹介した「ベルリン要塞」がありました。

下の図が1600年代後半に出来たベルリン要塞があったころの地図で
(歴史区分だとすでに近代で、日本だと江戸時代ですね)

引用:wikipedia, https://de.wikipedia.org/wiki/Dorotheenstadt ,1688年

そこから、少し時代が移り変わり
1730年代に現れた税関壁が
こちら↓(1742年の地図)

引用:Berlin Vier Stadtpläne im Vergleich 1742, 1875, 1932, 2017

地図の赤い線が税関壁があったラインで、その壁の中の中心にベルリン要塞の名残があるのがわかるかと思います。

壁の高さは約6mほどで、「ベルリン要塞」とは違い、防壁としての役目はあまりなく、密輸脱走を防ぐためのものだったそうです。
「ベルリン要塞」は百年も待たずに役目を終えていたみたいです。(本当かわからないのですが、技術の進歩で大砲の射程が伸びたので要塞の需要がなくなっていったとも)

北西の角にCharité⦅シャリテー:現ベルリン医科大学⦆もすでにありますね。

この時に出来た14ある都市の(Tor)の名残が(通りの名前など)、今日でも見つけることができます。
門の名前はそれぞれ、ベルリンから見てその方向にある都市の名前だそうです。

また、今日でもよくわかる形の広場、

Brandenburger Torの正方形の広場 (Pariser Platz)
Potsdamer Torの八角形の広場 (Leipziger Platz)
Hallesches Torの円形の広場 (Mehringplatz)

がよく確認できるかと思います。

引用:wikipedia
https://de.wikipedia.org/wiki/Berliner_Zollmauer#/media/Datei:Brandenburger-Tor-1735-Daniel-Chodowiecki-1764.jpg

上図:1764年のまだ凱旋門のなかった「Brandenburger Tor(ブランデンブルク門)」
後ろに見える森がTiergarten

引用:wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Hallesches_Tor#/media/File:Hallesches_Tor_1730.jpg

上図は1730年頃の「Hallesches Tor」

下の写真は、Märkisches Museumにある1748年出版された”Plan de la Ville de Berlin”から基づいて作られた模型です。
Hallesches Torから見た写真です。

次の写真はOberbaumbrückeから見た写真

この頃はまだまだ畑や自然の方が多いのがわかって興味深いです。

Oberbaumbrücke 2013年

少し古いですが、現在のOberbaumbrücke(※Brücke:橋)
ベルリンの壁があった時代は、橋の真ん中部分がありませんでした。(鉄骨部分のところ)
写真むかって左側が旧東側、右側が旧西側に川を挟んで分かれていました。橋の上を走っているのは地下鉄です。

上の写真はBrandenburger Torからベルリン要塞に向かってとった写真。
だいぶ現在のベルリンMitte地区(中心地)の風景に近いのがわかるかなと思います。

また、Stresemannstraße(Hallesches Tor と Potsdamer Torの間の真ん中あたり)に税関壁の基礎の一部が発掘され、1987年に壁の一部が再建されたそうです。

引用:wikipedia
https://de.wikipedia.org/wiki/Berliner_Zollmauer#/media/Datei:Berliner_Akzisemauer.jpg

そしてこの頃の選帝侯は、Soldatenkönig(兵隊王)のあだ名をもつ
Friedrich Wilhelm I.」でした。

引用:wikipedia
https://de.wikipedia.org/wiki/Friedrich_Wilhelm_I._(Preu%C3%9Fen)#/media/Datei:Antoine_pesne_friedrich_wil.jpg

彼は二代目プロイセン王、大選帝侯の孫にあたる人物で、あまり芸術など華やかなものに興味がなく(彼の父親とは正反対)経済軍事に力を注ぎ、合理性を重視した人物でもありました。
そのことから、あだ名が兵隊王です。

ここから、ベルリンは急速に発展していきます。
個人的に江戸(東京)とベルリンは時期と発展のしかたが似ている気がします。
共に1600年代からほぼ何もない都市、またそこまで重要な場所ではなかったところから急速に発展(人口、経済など)、徐々に重要な大都市へ、選帝侯≒大名(ここではHohenzollern家、徳川家)が主にキーパソンなどからそう思いました。(双方の世界情勢はだいぶ違ったとは思いますが…)
意外な共通点が見つかっておもしろいです。

以上、 ベルリンにあった税関壁についてでした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

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