大選帝侯生誕400年ということで、前々回のブログで
Schloss Caputh(カプート館城)について書いたのですが
同時開催の
Schloss Oranienburg(オラニエンブルク館城)
にも行ってきました
OranienburgもBerlinに近いのですが
Brandenburgの地域です

オラニエン館城は、駅から降りてすぐでした
(少しつまらなくもない)

こちらもカプート館城同様、バロック様式です
ただ、残念ながら第二次世界大戦でひどく損壊してしまったそうです

この道が、オラニエンブルク館城からベルリナー通りを通って
ずうっとベルリンの中心まで続いているのが面白いです
ここから、オラニエンブルク門(Oranienburg. Tor)まで行き来していたのですかね?


城の前にあるLuise Henriette von Oranien
(ルイーゼ・ヘンリエッテ・フォン・オラニエン)の銅像
彼女は大選帝侯の先妻で
悲しいことに選帝侯より先に亡くなってしまいます
その後に、彼は未亡人だったSophie Drothea(カプート館城で見た)と再婚しています
そして城の中へ入り
受付をすませて
階段を上って二階へ

最初の部屋は
オラニエン総督家と大選帝侯の肖像が飾られていました
この部屋は、1833年の火事で天井に描かれていた絵を焼失してしまったそうです
天井には、オラニエンの系図と英雄伝が描かれていたそうです
(残念)
胸像はポツダムにあるサンスージー宮殿にあったものだそうです
現在サンスージーにはレプリカと替えられているそうです
(この部屋の胸像のうち一つがコピー)



窓枠近くにある、奇跡的に火事から免れた壁の絵

次は、磁器の回廊
かつては、無数の豪華な装飾(磁器など)がこの回廊にあったそうです
奥の彫刻は、大選帝侯
壁にかかっているタペストリーは
大選帝侯の戦争でのシーンが表現されています
計八枚のシリーズだそうです
ここにあるのは、そのうちの五枚


描かれている、状況、人物、服装、兵器などが細かく
当時の雰囲気がわかるのが、興味深いです

Hinterpommern(ヒンターポマーン;ポンメルンの東側、犬のポメラニアンが有名ですかね)のブランデンブルクのErbkämmerer(宮廷での今でいう大臣的なポジションの人らしい、ちょっと正確にはわからなかったです)の鍵
鍵に書かれている文字は、ラテン語だそうです
スウェーデンにヒンターポマーンをとられたときの公文書的な鍵みたいです
後につづく部屋は、主に絵画メインなので一部個人的に気になったのだけ紹介しようかと思います
絵画は、主にオランダの絵画と一部フラマン系の絵画が展示してありました

ここにも、カプート館城同様、日本の磁器がありました
奥の部屋にあるのがそうです
部屋の中には入れませんでした

右の絵が、1644/45年頃の絵、オランダ共和国のアレゴリー
最初女神ゲルマニアかと思いました
オランダにも国を擬人化したものがあるんですね
左の絵が、1650年頃の絵
Recife(レシフェ:現ブラジル)にあるMauritsstadの風景
オランダが、現ブラジルの一部を
一時期、占領していたのは知りませんでした

大選帝侯とルイーゼ・ヘンリエッテの
第一子の生と死をテーマにした絵です
一歳で天国に行ってしまったそうです

ルイーゼ・ヘンリエッテに第二子が生まれた時に
彼女は、最初に説明した孤児院を設立したそうです
なにか思うところがありますね

そしてちょっと驚いたのが
ヴァン・ダイクの絵があったことです


このイングランドの王様と女王の娘
「Maria Henrietta Stuart」が
ルイーゼ・ヘンリエッテの
兄(WilhemⅡ.von Oranien)と結婚し
Maria Henrietta StuartとWilhelm Ⅱ.の息子
Wilhelm Ⅲ.がイングランド王になっている
こうやって、いろんなところで繋がっているんですね

この城は、上から見たらHのような形で
建物の左側の端の部屋から中心の部屋を見た時の写真です
この部屋を絵画が埋め尽くしていました
部屋の装飾が残っていたらまた違った風に見えるのですかね
まだ、少しあるので
ちょっとブログを分けたいと思います
にほんブログ村
いつも読んでいただいてありがとうございます
クリックしていただけると励みになります