今回は、Spandau(シュパンダウ)とKöpenick(ケーぺニック)について書きたいと思います。
現在のベルリン市の地域内に、「Alt-Berlin(古ベルリン)」よりも先に発展していたのが、シュパンダウとケーペニック
現在の「ベルリンの空間」は
西暦4世紀頃の
初期の民族移動時代で定住者が多くなった後
5,6世紀にゲルマン”系”が去り
6世紀半頃にはあまり人がいなくなり
その後
スラブ系の種族が住み始めたそうです。
因みに、そのあたりのスラヴ系の移住から
10世紀に至るまで、エルベ川(Elbe)とオーデル川(Oder)の
間の地域は
主にスラブ系の種族が住み着いていたそうです。

⑤Potsdam(ポツダム) ⑥Berlin(ベルリン) ⑦Dresden(ドレスデン) ⑧Prag(プラハ)
青文字:①Havel(ハーフェル川) ②Spree(シュプレー川)
紫色の川:Stecknitzkanal(ステクニッツ運河)
たくさんある支流は割愛
たいていの都市が川沿いにあるのが興味深いです
そのスラヴ系の定住の流れの中で
今日のベルリン空間で重要度が高い入植者は
まず西にいたHeveller(ヘフェル人)でした
(もしくは、別名Stodoranenとも)
この部族は、東はSpandau(シュパンダウ)から
Brandenburg(ブランデンブルク)(an der Havel)を通って
西のRathenow(ラーテノー)のあたりまで住んでいました。
中でも、10世紀以降はヘフェル人の支配者の本拠地がBrandenburg(ブランデンブルク)(an der Havel)でした。

引用:https://de.wikipedia.org/wiki/Heveller#:~:text=Die%20Heveller%20(Eigenbezeichnung%3A%20Stodorjane),Ursprunges%20der%20sp%C3%A4teren%20Markgrafschaft%20Brandenburg.
すでに、この地域は、木材の年輪(年代学)の調査により、700年代頃には城が登場していました。

引用:Berlin wird Metropole, Felix Escher, ISBN 978-3 96201-038-6
因みに、この時代によくあるスラヴ系の城(下図)
「Slawenburg Raddusch」
円形状の壁で囲まれて、堀に水があるのが特徴です。



928/929年の冬に、東フランク王 HeinrichⅠ世(OttoⅠの父)率いるザクセン軍が、ヘフェル人に攻めてきたときに
城にとって有利であるはずの
堀にある水が「寒さで凍って」いて
短時間で、降伏することになったことを知って
なんだか…
…残念な気持ちになりました
さぞ絶望したことであろう(無念)
そして、もう一つの部族が
ベルリン空間での西にいたSprewanen(シュプレヴァーネ人)
彼らは、北はBarnim(バルニム)台地から
Spree(シュプレー川)を挟んで
南にあるTeltow(テルトー)台地の東側に住み着いていた。
中でも、彼らの主な入植地と権力中枢は
Spree(シュプレー川)とDahme(ダーメ川)がつながる
現在のKöpenicker Schlossinsel
(ケーペニッカー・シュロスインゼル):シュロス島
にありました。
シュプレヴァーネ人は、ヘフェル人と打って変って
残っている情報量が少ないそうです(残念)
双方の部族の間には
森林地帯が広がっていたらしいです
その中に、のちのAlt-berlin(古ベルリン)があります
その名残が、Tegel(テーゲル)の森林と
Grunewald(グルーネヴァルト)として残っています
双方この森林地帯で狩りをしていたそうですが
双方、触れ合う機会はあったのでしょうか?
想像が膨らみますね
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